ロッキーチャレンジ賞は仲村巖チャレンジ基金が贈呈する賞です
2023年10月16日更新
2023年度ロッキーチャレンジ賞公式PRビデオ(受賞者 福富健仁氏)をYouTubeにて公開しました

2023年度ロッキーチャレンジ賞公式PRビデオをYouTubeにて公開しました。下記の「【ロッキーチャレンジ賞公式】2010 – 2023 これまでの受賞者たち」と併せてご覧くださいますようよろしくお願いいたします。

2023年10月12日更新
2023年8月3日更新
2023年ロッキーチャレンジ賞
受賞者・福富健仁氏 記念講演
【要約版】を掲載しました
第15回 琉大未来共創フォーラム・ロッキーチャレンジ賞記念講演フライヤーより
第15回 琉大未来共創フォーラム・ロッキーチャレンジ賞記念講演フライヤーより(2023年7月21日に琉球大学にて開催)

自己紹介

私は昭和40(1965)年12月3日に鹿児島県奄美大島で生まれて育ちました。
小さい頃から夢は「技術者になりたい」でした。ただ、高校時代の学力はクラス45人中の44番目、共通一次試験(1979年~1989年に実施された国公立大学入学志願者向け共通の1次試験、1990年よりセンター試験へ制度変更)では1000点満点中220点しかとれない程の劣等生でした。高校卒業後は福岡の予備校に行きました。誰も知り合いのいない福岡で勉強に専念しようと考えたからです。家庭の事情があって自分で学費を払わないといけなかったので、とにかく国立大学に受かろうと必死でした。僕の地元の大先輩に徳洲会病院創設者の徳田虎雄さんという方がおられますが、彼は1日16時間、死に物狂いで勉強して大阪大学医学部に受かったんです。(その勉強に取り組む姿勢を見習って)僕も1日16時間、死に物狂いで勉強しました。そして琉球大学工学部機械工学科(現在の機械システム工学科)に合格して、20歳の時に沖縄に来ました。大学時代は(学費を稼ぐため)バイトしながらの勉学でしたので、1年留年、さらに就職浪人1年をして、大学を卒業いたしました。

卒業後はプラント・メーカーに就職して、浄水場のプラントの設計と製造それからアフターメンテの仕事に12年間従事したのち、33歳の時(2003年)にトマス技術研究所を創業しました。
今年で創業満20年です。

 今日は僕の体験談をお話させていただきながら、特に高校生、大学生、若い方に、ウチナーンチュでも、離島僻地の出身でも、志さえ持てば、チャレンジ精神さえ持てば、そして大いなる外界志向を持てば、これだけのことが出来るんだ、本当に夢がかなうんだ、ということを伝えさせていただたいと思っております。



煙の出ない焼却炉を作りたい

僕はプラントメーカーに勤めていたので、消煙技術、燃焼技術というのは持っていました。

平成14(2002)年12月1日、ダイオキシン類対策特別措置法が施行されました。その法律のポイントというのは「野焼きをしてはいけない」、そしてまた「(ゴミを)ドラム缶等で燃やしていけない」等だったわけです。僕が創業したのが平成15年(2003)1月1日ですから、(そのとき僕は)タイヤを燃やしても煙が出ない焼却炉があったら困っている人に喜んでもらえるんじゃないか、それを全自動運転で出来たら、だれが運転してもそれが制御出来るならいいじゃないかと思いました。そして、それをコンセプトに開発をスタートさせたんです。

創業時、ある工場の社長さんが出資してくれた資金を元に試作機を作りました。僕は、燃焼工具の技術者だというプライドがありましたから、燃焼の三要素(燃えるもの+点火元である火+空気中の酸素)をうまく扱えば造れると思って、試作機作りをスタートさせたわけです。

試作機テスト … 想定外の結果に

最初木屑を入れます→ 煙出ません。次、紙屑入れました→煙出ません。そして、弁当殻等の廃プラスチック類を入れます。最初(煙が)出たんですが、それもまた消えます。それで、出資者の方が「福富さん、タイヤを燃やしても煙が出ない焼却炉を作るっていったよね。それで自分はあなたに出資をしたんだ。だからタイヤを入れてみてくれ」ということで(僕は自信を持って)「よっしゃ」とタイヤを入れたわけですね。

最初、チョチョッと白い煙が出ましたが、廃プラと同じようにうまくいくだろうと思ったんです。(ところが)白い煙が黒煙に変わり、その黒煙が、ウワーッと煙突から吹き出しました。さらに、その吹き出た黒煙に火が着火して、3メートルぐらい火柱を立てて、ゴーッと(勢いよく)燃え出しました。さすがにこわくなって、慌てて消火器を探しました。(その間も黒煙とともに火は)ゴーッと出続けているんです。「どうなってるんだこれは」と出資者の社長さんは怒りますが、それを消すための技術を、僕はその時、持ってない。どうしようもない。火柱が収まるまで10分から15分くらいかかりました(僕には2、3時間に感じられました)。大失敗です。

出資してくれた社長さんから「どうなっているんだこれは。詐欺行為だよ。金返せ」と言われました。僕は社長さんに深謝し「一週間以内に答を出すので、かならず完成させますから、それまで待ってほしい」といいました。そして、打ちひしがれて家に帰りながら、途方に暮れました。一週間以内と言ったものの、それを解決できる技術は僕にはなかったんです。手だてもありませんでした。なんでああいう風になったかも分からなかったんです。

「田舎者だから…」ネガティブ思考

最初に思いついたのは「逃げる」です。僕にはいつも、これがあるんです。

今まで、小型焼却炉で、タイヤを燃やしても煙が出ない、というのはなかったんです。だから、これが完成したなら世界初になる。そう思ってチャレンジした。しかし、失敗した。どうせお前は田舎者、島から出てきた田舎者、お前に世界初なんてできるわけないよと自分で自分に言うわけです。じゃあ、どうすればいいか。最初に思ったのが「逃げよう」。「夜逃げだ」と。「もうどうしようもないから逃げるしかない」。そういう風に僕はいつも思ってしまうんです。今でもこれはあります。(所詮)シマンチュだ、離島僻地の出身だ、ダメなやつだというネガティブな思いは今でもあるんですよね。

でも、そう思った心にいつも働きかけてくるのが「志」という言葉なんです。

志=ベルーフ(ドイツ語)=天職=使命感

離島出身の技術者である自分だからできる、そういう自分じゃないと出来ない事がある。
それを見つける事、気づく事。これがすべての源泉。

「志」。この言葉が、僕をネガティブ志向からいつも解き放ってくれます。

「志」という言葉は、ドイツ語ではベルーフ(Beruf)というそうです。ベルーフという言葉の意味を掘り下げると「天職」という意味になるそうです。これを提唱したのが、宗教改革者マルチン・ルター(1483年~1546年)です。さらに「天職、天から授けられた仕事」という言葉の意味をもっと掘り下げますと「使命感」という言葉が出てくるんです。ですから、「志」という言葉は、ベルーフ、天職、使命感という言葉につながっていきます。

この「志(ベルーフ、天職、使命感)」が、離島出身の技術者である僕に、離島出身者だからこそ出来ることがあるんじゃないかと問いかけてきます。「志」という言葉がいつも、いつも内からグワーッと湧き上がってくるんです。お前はなんのために創業したんだ、と。それは自分だから出来る、そういう自分じゃないと出来ない技術開発、製品開発、使命があるんじゃないかと。そう思ってやったきたんじゃないか、平成15年の7月1日に創業したんじゃないかと。

こういう思いが(ネガティブ思考と同時に)湧き上がってくるんですね。

チリメーサー誕生

 帰宅し、湯船に浸かりながらも、故障原因探求を続けました。「なぜ煙が出たのか」。理屈を追っていくわけです。燃焼物の燃焼に必要な酸素の量が足りないから、煙が出るわけです。でも供給できる空気の量というのは限られている。燃焼の速度が速すぎるから煙が出る。燃焼速度を抑える技術が確立すれば、煙は抑えられるはずだ。じゃあ、その燃焼速度をコントロールするにはどうすればいいんだ?そのやり方が分からない。そう考えながら、窓も開けず、換気扇も回さないで湯船に浸かっていましたので、だんだん、息苦しくなってきました。

そのとき気がつきました。なんで息苦しくなるんだ?それは湯船から出てきた水蒸気が、その風呂場の中の雰囲気条件を高くしたからじゃないのか。酸素と水蒸気が置換されて、酸素の濃度が減ったからじゃないのか。息苦しいと思って、窓をパッと開けた瞬間、空気がサーッと入ってきたときに、僕は「バッチーン」と閃いたんです。ああこれだ!と。焼却炉内で水蒸気をうまく使って燃焼速度をコントロールできれば、煙は消せると、バチッと閃いたんです。

裸のまま外に出て、閃いたその理論を頭の中で追いかけます。それをどういう風に作ればいいか、どういう風に配管をもってきて、ノズルをどう作ればいいか、もう瞬間的にバチッ!と浮かびました。それをパアッと絵を描いて、一緒に開発していた工場の人に送って、「明日僕は朝6時に現場に行きますので、社長さんが来るまでにこの図面(に描いた装置)を焼却炉に装着してください」と伝えました。もう実験する余裕なんかないです。でも僕は確信していました。「絶対うまく行く」。

そして朝8時半。出社してきた社長さんを呼び止めてテスト開始しました。木屑、紙クズ、廃プラと実験を進め…そしてタイヤを入れました。そして昨日と同じように、白い煙が出て、黒い煙が吹き出しました。その時に僕はあるスイッチをパッと押してもらいました。そうすると、黒煙がバシーンと消えたんです。バシーン!一発です。一緒にいた工場の人々から「おおーっ!」と歓声が上がり、社長さんも「よくやってくれた」と握手してくれて、出資金は返さずに済ました。こうしてチリメーサー(の実験)が成功したわけです。

 開発だけでなく、資金繰りでも苦しんだことがあります。明日銀行に何十万払わないといけないのに今日10円しかなかったということもありました。けれども心は折れない。めげない。絶対に大丈夫、絶対に成し遂げてみせる。どんな田舎者の劣等感を持った人間であっても、「志」さえあれば乗り越えることが出来る。
僕の「志」、それは「技術を通して人様のお役にたちたい」「技術を通した環境改善」それを「沖縄から全国に、そして世界へ」。これが、「トマス技術研究所」の創業の理念であり、僕が持った夢、「志」です。

チャレンジ精神

技術を通した環境改善
技術を透して人様のお役に立ちたいという志を実現させる為にもっと良いものを作りたい、人様のお困りごとを解決できるものを作りたい
それを実現させるために一心不乱に打ち込む


トマス技術研究所の創業の理念は「技術を通じた環境改善」です。我々は技術屋なので、技術屋にしかできない環境改善の仕方があります。それは自分たちが持っている技術、また持っていなくても開発をすることで、閃くことで、新たな技術開発をして会得できる技術というのがある。そうやって我々技術者だからできる製品開発というのがある。その製品をもって、それを普及させることによって、使っていただくことによって、その場所の、その会社の、その地域の環境をよくすることが出来る。これは技術屋にしかできないんです。

社名の由来

トーマス・エジソンのような、僕は技術者になりたい。そういう会社になりたい。トマスのようになりたいと思って、社名を「トマス技術研究所」と名付け、日々、製品開発を行っています。

エジソンさんにある人がこう質問したことがあります。「エジソンさん、あなたが開発したり発明したりした製品で、開発で、ダメに終わったことありますか?」。エジソンさん、こう答えました。「一つもありません。一つも自分は発明品で出来なかったということはないんです。それは成功するまで、発明が完成するまで、やり続けるからです。失敗は何千回もやる。何千回もやるんだけれど、それは次の成功に至るまでのプロセスでしかない。成功するまでやり続けるから失敗に終わらない」。

経営の父と言われる松下幸之助先生もこういわれました。「成功者とは、成功したから成功者なのではない。成功するまで諦めなかったから、成功するまで諦めなかったから、成功者たりえたのである」。

途中で諦めた発明品はない

トマス技術研究所でも、途中で諦めた発明品というのはないです。お客様からこういった困り事(の相談)が来ます。それを今の技術で出来なかったとしても、一番最初のあのチリメーサー開発の時と同じようなチャレンジを20年間やってきているわけです。ずっとやっているわけです。

お客様が困っている。
それを助けるのは僕(=トマス技術研究所)しかいない。
そのために何が出来るか?
命懸けで開発しようじゃないかと。
出来ないかもしれないけれどもやってみよう。

本当に窮すれば通ずるんです。閃くんです。
実現するために一心不乱に打ち込む。成功するまで諦めない。
10円になってもめげない。諦めない心でやり続ける。

その連続でこれまでやってきたわけです。
実現できるまで絶対に諦めないというチャレンジ精神。
僕は真のチャレンジ精神ていうのはこれじゃないかと思います。

外界志向

これまで離島や僻地で培った技術
日本とは比べ物にならない程過酷なインフラ状況の島嶼国
沖縄の技術で世界へ


何故インドネシアのバリ島にチリメーサーを設置運転するという取り組みを始めたかについてお話します。

今から10年前。その時はまだ僕も含めて従業員含めて3名しかいないときだったんですけども、ある浅黒い肌の方が会社に来られたんです。離島の方かなと思って話をしようとしたら、何言ってるか分からないんですね。この方言は聞いたことがない、と思ったら、なんとインドネシア人だったんです。

それで、その隣におられた方が片言の日本語を話されたので、よく話を聞いてみると、バリ島のごみ処理問題解決に手を貸してほしいということでした。バリ島は沖縄と同じ観光の場所で、多くの観光客が最近来るようになったんですが、その影響でゴミが大量発生してしまっているにもかかわらず、それを適正処理していくためのインフラがないということでした。

 バリ島の最終処分場の周囲には、たくさんのウェイストピッカー(廃棄物処分場等で、ビン・缶等の換金可能な有価物を回収・売却することで現金収入を得ている人々)の人たちが生活していますが、そのウェイストピッカーたちの間で感染症が広がっている。病院から出てくる感染性の医療系廃棄物がこの中にオープン・ダンピング(解放投棄。そのまま投棄)されていて、子どもたちが判らずそれを取ると、その中に注射針が混じっていた場合刺されて、感染症にかかっちゃうわけです。

誤って注射針に刺されてしまった子供が感染したらその親が感染する。そして感染が広がって、何千名という方が亡くなっているんだと。インドネシアはそういった窮状に今あるんだということを僕に言われたんですね。

その話を聞かされた当時、創業して10年目くらいで、沖縄でまだ離島で焼却炉の設置運転をやっているレベルだったんです。将来的に20年後か30年後、この技術を海外に持っていければいいなあという意識しかなかったんです。

それだけにその話は衝撃でした。でも半信半疑でもありました。で、その方が「今ごみを持ってきているんだ」と。生ごみから何からゴチャゴチャになったゴミを持ってきて、これを燃やして見せてくれと。「あなたの焼却炉の性能については聞いている」ということでしたので「わかりました」と、放り込んで蓋をしてボタン押して、普通に燃やしました。煙はもちろん出ません。そのことにその方がえらく感動されて、「なんとか日本の補助金でこれをテスト機としてバリ島に入れられないか」と、こう仰ったんですね。

その件で県に相談にいったら、JICA沖縄の中小企業海外展開支援事業を紹介され、補助金を運用したそうしたODA事業というのがあるというのを聞きました。それで、まずは調査事業から行こうと申し込んだら受かったので、調査に行きました。

実際目にすると、その最終処分場の状況は、もう…本当に凄かったです。まさにゴミの山。反対側にある港は観光地なんですよ。(その観光地目当ての)観光客が全然来ないような、本当に山の中の孤立した土地に最終処分場があったんですね。臭いも凄いものでした。そこで本当にその惨状を見ました。こういう場所で話せないような状況もありました。人が亡くなったのにそのまま放置されていて、それを葬ることもできない。

それまでは、自分自身が離島僻地の出身で、海外での事業展開とかとんでもないという風に思いながら行ったわけですけども、その惨状を見たその時、なんというか、天命が降りてくるというか、志が、いわゆるベルーフが降りてきて、天からの声を、僕はその時、聴いたんです。

「あなたが離島で生きて、これまで沖縄でやってきた技術でこの人たちを救え」と。

僕は「ゴミは出所で断つ」というポリシーを技術者として持っています。それは、最終処分場等で(適正処理を)やってもしょうがない。感染性医療系廃棄物の出所は病院です。その病院の中にチリメ―サー(「メディカル・チリメ―サー」)を置いて、そこで感染性医療系廃棄物を燃やして完全に焼却し切って無害化したならば、それがたとえ、本当の最終処分場に持っていくまでに、オープン・ダンピングされたとしても、無害化されているから、注射針刺しても感染症にならない。「ゴミは出所で断つ」。「よし!各病院にこのチリメーサーを置くっていうプロジェクトを立ち上げよう!」僕は思ったんですね。それがスタートだったんです。

沖縄で培った、離島で培った技術をもってそれを成し遂げようと思ったんです。

過酷なインフラ状況に向き合う

でも、(インドネシアは)日本とは比べ物のならない程のインフラの状況でした。(チリメーサーの燃料となる)軽油ですが、日本の軽油はとってもキレイです。それがインドネシアではA重油より質が悪いんです。

JICAのODA事業としてチリメーサーを置きました。そしてセレモニーがありました。ジャカルタから環境大臣、そしてバリ島の総領事の方、そして市長さん、200〜300名が来られました。それでいざ、チリメーサーをスタートさせたら、火が付かないんです。故障原因を探究していくと燃料しかない。燃料の蛇口をパッとあけて(軽油を)出した瞬間、僕はこれはビールかと思ってしまいました。上に泡があって、その下が黒くて、一番下にはスラッジ(劣化した厄介な沈殿物質)が溜まっていました。すぐネットで調べたら、引火点が日本のA重油よりも高い。だから常温で着火しないんです。

目の前には実験を心待ちにしている地元の有力者関係者たちがいる状況。僕はJICA側ODA事業のメンバーに頼んで、トークでとにかく時間を稼いでもらっている間に、どうやって着火させればいいかをインドネシアの軽油の特性を踏まえて急ぎ検討し、壊れる覚悟で思いっきり、通常だったら0.5メガパスカルでやるのを、2メガパスカルにキュッと上げて、ノズルを大きな径から思い切り小さい径に替えて試したら、パーッと点いたんです。かかった時間が4分30秒。なんとかやり遂げました。そして、火が点いてる状況を、煙が出ない状況を見てもらいました。大拍手でした。

そしてさらに(インドネシアのバリ島は)水の硬度が300あるんです。燃焼制御の水噴霧ノズルがすぐに詰まってしまいます。でも軟水器は輸入規制があって(インドネシアのバリ島には)持ってこれない。そこで水の硬度を調整するために塩を入れました。塩を入れて反応させればカルシウムをとるので、軟水が出来ます。だから箱を作って、そこに水を投入し、フィルター作って上から塩を入れて、ポンプで流したら、硬度は5です。それで、そうした装置を現場で作って、この仕組みを成功させました。(沖縄も硬度が高くて、与那国だと150ありました。与那国でも早く直さないといけなくて、軟水器を作りました。その時の経験がバリ島で活きたのです)。

沖縄の技術で世界へ羽ばたく

僕は、離島僻地出身のディキランヌー(出来の悪い)の技術者です。
しかし、そうだからこそ出来ることってあると思います。それは僕が沖縄の離島僻地で経験を重ねてきたから、その方向の技術開発をやってたから出来た(対処できた)んです。

だから離島僻地だからといって、シマンチュだからといって、劣等感持つ必要はない。そういう自分だから出来ることがある、そうだから、そういう俺だからしか出来ないことがあるんじゃないか。それを僕は思っています。

沖縄の技術で世界へ 羽ばたいていきたいと思っております。

以上で終わりたいと思います。どうもありがとうございます。



※ 2023年度ロッキーチャレンジ賞授賞式&受賞記念講演会は2023年7月21日に琉球大学にて開催されました。

※質疑応答は省略しました。

プロモーションビデオ等につきましては今後追記していきます。

2023年7月22日更新
2023年ロッキーチャレンジ賞授賞式開催いたしました

【速報】2023年度ロッキーチャレンジ賞授賞式ならびに受賞記念講演会は2023年7月21日に琉球大学にて開催されました。

福富健仁氏・受賞の言葉(要旨)

この度は第14回目のロッキーチャレンジ賞ということで、受賞を賜りまして、本当にありがとうございます。仲村巖先生、関係者の皆様、評価していただけたということで心から感謝申し上げます。

仲村代表の言葉(要旨)

福富さん大変おめでとうございます。
第14回ロッキーチャレンジ賞をお贈りします。
ロッキーチャレンジ賞は、沖縄の超一流の人材を育てるためのプログラムです。本プログラムは、世界中で活躍している沖縄に関係する人々の中から、毎年これはという人物を発掘しサポートする、そして「継続的にサポートする」ことを広く内外に情報発信することで、未来に潜在能力のある若者に(各年の受賞者がロールモデルとなって)いい影響を与え人材育成に寄与する、ユニークなプログラムだと自負しています。福富さんは(次代の若者の目標、ロールモデルに)非常にふさわしい人物です。今度の賞金をご自身の考えている事業の発展のため、ご自由にお使いいただきたいと思います。それがまた、後輩の道しるべになると思います。よろしくお願いします。

※ 福富氏の講話内容要旨、公式プロモーションビデオ等につきましては、今後追記していきます。

2023年6月27日 更新
2023年ロッキーチャレンジ賞受賞者決定のお知らせ
2023年ロッキーチャレンジ賞受賞者 株式会社トマス技術研究所代表取締役福富健仁(ふくとみけんじ)氏
2023年ロッキーチャレンジ賞受賞者 株式会社トマス技術研究所代表取締役 福富健仁(ふくとみ けんじ)氏

 仲村巖チャレンジ基金では「2023年ロッキーチャレンジ賞」を株式会社トマス技術研究所代表取締役福富健仁(ふくとみけんじ)氏に贈呈することといたしましたのでお知らせいたします。

 「ロッキーチャレンジ賞」は「外界志向」「志」「チャレンジ精神」の点で、沖縄の若い人材の目標となる個人、または、グループを賞賛し、その活動を応援するため、賞金100万円と表彰楯を贈呈致します。

 福富健仁氏は、鹿児島県奄美大島出身の会社経営者です。
琉球大学工学部出身で大学卒業後はエンジニアとして沖縄県内のプラントメーカーに就職。沖縄をはじめとする離島のごみ問題を目の当たりにし、エンジニアとして環境改善に取り組むため2003年に「株式会社トマス技術研究所」を設立しました。技術開発型企業として複数の特許技術を保有し、沖縄だけでなく世界中の様々な環境課題を解決すべく尽力しています。

 創業に際しては壮絶な困難に陥ったこともありましたが、持ち前のチャレンジ精神と前向きな姿勢、そして粘り強さを発揮して研究・試行錯誤を重ね、経営が立ち行かなくなりそうな局面を克服しました。そして様々なゴミを無煙処理できる小型焼却炉「チリメーサー」の開発に成功し、数々の名だたる賞を受賞。
2019年のG20大阪サミットでも紹介されるなど、現在、日本のみならず世界で活躍する発明品となっております。

 かねてから沖縄は、その地理的不利条件により製造業の飛躍は非常に困難であるとされてきました。福富健仁氏はそういった旧来の常識を覆し、世界の様々な地域に沖縄で製造された焼却プラントを実装し、その地域の環境課題の解決に寄与しています。

 当基金では、福富健仁氏の積極果敢に困難を乗り越え、経済価値と環境価値の両面から世界に貢献するその姿勢が、ロッキーチャレンジ賞の趣旨にふさわしいものと考え2023年ロッキーチャレンジ賞を贈呈することに決定いたしました。

 同氏の体現する「外界志向」と「志」および「チャレンジ精神」が模範となり、あとに続く沖縄の未来の大器の夢と目標と挑戦が生まれることを期待しております。

 7月21日に琉球大学を会場としてロッキーチャレンジ賞授賞式が開催され、賞金100万円および受賞記念楯が贈呈されます。授賞式に続き、第15回琉大未来共創フォーラムにおいて福富健仁氏による講話が行われます。その様子は後日、琉球大学地域連携推進機構のYouTubeチャンネル内にて公開予定となっております。

仲村巖チャレンジ基金 代表 仲村巖

問い合わせ先
事務局長 飯塚悟
satoruizk@plazma.co.jp
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琉大未来共創フォーラムに係る問合せ先
琉球大学 総合企画戦略部 地域連携推進課 地域連携推進係
TEL:098-895-8019
FAX:098-895-8185
E-mail::chikiren@acs.u-ryukyu.ac.jp

第15回琉大未来共創フォーラムの詳細は下記を御覧ください。
※ 下記フライヤー画像をクリックいただくと、琉大未来共創フォーラム申込ページが開きます

ロッキーチャレンジ賞PRビデオ公式チャンネル(YouTube)
https://www.youtube.com/@user-jq2ti8uo6b

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